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  • 津田識義

第21回 不安な時代だからこそ、やらねばならぬこと



1)異能・異質をつぶさない


 どの経営者も将来に対する不安が過去最大値で募っており、さらに今でさえも未曾有の変化に直面しているのにもかかわらず、さらに10年以内に人類が未経験のとてつもない大きな変化がテクノロジー主体で起こるということ、その不安の払拭を次世代経営者候補に求め、期待しているという事実があります。一方でその未来を託された次世代経営層達の現状は、異質を嫌い、変化を嫌い、コンフォートゾーンになんとか留まれないか藻掻いているという局面があります。


 話は変わりますが、基本的に我々日本人は、幼少期から何と言って育てられてきたでしょうか。一方アメリカ人はどうでしょうか。中国人は?全く違う育てられ方をしています。基本的に我々日本人は恥の文化の中で育てられていますから、基本的には自分が所属しているコミュニティー内で辱めを受けたり、恥ずかしいことをしてしまうとどうしても切腹したくなるメンタリティーを持っています。(江戸時代まではそれが武士の美徳であり、令和の現代でも恥の文化は脈々と引き継がれています)


 ▷《環境依存文字》《環境依存文字》 日本人:「周りに迷惑をかけてはいけません」

 ▷ アメリカ人:「Be yourself!:あなたらしく生きなさい。」

 ▷ 中国人:「勝て!勝者になれ!」


 さて、これからグローバルビジネスでどうしても勝っていかなければならない日本企業ですから、自らを責める自傷行動をとっている場合ではなく、本来の敵を攻めて欲しいわけです。このままでは戦いにもなりません。敵に潰される前に自ら潰れてしまいます。

 異質・異能と徹底的に交わる機会を創り、自分はこうしたいと明言する機会を創り、そういう発言を称賛する機会・場を創らない限り、おとなしく育てられた我々日本人が戦士となってグローバルフィールドで戦うことはできないでしょう。




2)埋もれた人財を発掘する


 日本企業の体質として、戦わない社員の養成機関という側面が強くあると見ています。

 それは役員会に参加すると一目了然です。実はほとんどの決裁事項が事前に根回しで決められており、人情味熱く「あいつが言っているのだから通してやろう」という役員間で何十億の投資案件が事前に決められたりしており、本番では「異議なし!」で決裁されてしまいます。そこには論理性が欠如しており、投資案件の費用対効果、事前のリスクシミュレーション・リスクマネジメントも発動される余地がありません。


 そのような風土が何十年も続いているので、部門長が役員に意見をするなど、前代未聞であり、あってはならないことで、万一事前の根回しなしで役員会の議案に載せてしまったものであれば、役員達の心象を害して、瞬時に闇に葬られてしまいます。たとえそれがどんなに合理的で、消費者ニーズに合致し、世の中を覆すような爆発的ヒットを飛ばすポテンシャルを持ったアイデアだとしても・・・です。アイデアが葬られるだけなら良いのですが、それを起案した人財が何回かペナルティーを犯すと、永遠に浮かぶことができない闇に葬られてしまいます。

 その闇に葬られた人財は、世の中に何か訴えることがあって発案しているわけで、世の中に抹殺されたわけではなく、社内の暗黙のルールに抹殺されてしまっているのです。おそらく世に出しておけば、会社に多大に貢献したであろうアイデアは1社あたり年間何十~何百件、闇に葬られた人財は1万人規模の会社であれば何十人となるでしょう。


 ということは、10年間で闇に葬られた約100人の人財を掘り返し、再度命を吹き込む仕組みが必要になります。VUCAの時代に組織で立ち向かうために、ニュートラルな状態でもう一度スタートラインに立ってもらう必要があります。




3)内なる戦闘の開始


 日本企業の本当の敵は、同業他社でもなく、海外企業でもなく、我々日本人の気質・DNAにあるのかもしれないと考える次第です。

⇒ 結局は、日本企業躍進のためには、知識ではなく覚悟の問題が大きなウェイトを占めます。とはいえ、覚悟を決めろと言われても、周りの視線が気になる日本人のDNAですから、コンフォートゾーンから抜け出しやすい仕組み・環境が必要で、「自分はこうする!」と宣言しても恥ずかしくなく、逆に言わない事が恥ずかしいというように変えていく場の設定が急務です。 中堅・中小企業であればオーナーの一声でスタートが切れますし、大企業であれば戦略部と人事部、海外事業部が発起人になる必要があるでしょう。




4)日本人の良いところを徹底的に伸ばす


 1)から3)まで読んでみますと、日本人にアメリカ人や中国人になれと言っているように感じられるかもしれません。決してそうではありません。

 戦略の基本は、強みを徹底的に伸ばす事。そして、その強みで勝つということです。日本人の強みはチームで勝つということでなないでしょうか。“和をもって貴しとなす”。それが現在及び近未来の経営環境に合わない形になってしまっているだけで、それを良い形・強い形にアレンジするだけだと考えます。


 最も根深い問題が評価基準に存在していると私は考えています。なぜならば本来日本人が得意としているチーム戦に対応していないからです。




5)日本人の強みを最大限発揮するために


 アメリカは個人主義の国で、きっと企業の評価も個人評価なのではないかと思われがちですが、ところが実際は、チーム評価の割合が高いのです。一方日本企業の人事評価は中小企業から大企業に至るまで、どういうわけか個人評価になっているわけです。


 アメリカ人は個人と神様がダイレクトに結びついているという宗教観があり、個人が属しているコミュニティーへの貢献を尊ぶ傾向が強いです。


 昔、ナレッジマネジメントの本を書くためにアメリカ大陸を横断し、様々な企業トップ達と意見交換をしました。日本では個人評価がほとんどなので、どの職種でも知の囲い込みが起こる。個人の頭にある暗黙知を形式知化し、オープンな環境でバージョンアップし、さらに再活用するという理想は理解できるが、それを日本企業で実現するには、ノウハウを出すことに対し報償を出す制度をつくらないと難しいとのでは?と質問をすると、

「それでは日本企業は中国企業にも勝てなくなるよ。我々はコミュニティーに貢献することを無上の喜びとするところがあり、無償で喜んでノウハウをコミュニティーに提供します。ノウハウ交流には全くコストがかからない。まず、コストで負ける」という回答が返ってきました。

 その当時(1990年)から、今の状況を言い当てられた感じがして大変ショックを受けました。


 さて、アメリカ企業の評価基準ですが、チーム貢献がおおむね評価全体の30%~40%程度を占めています。例えば、最近のMicrosoft社の人事変更ポリシーを見てみましょう。



 日本企業はなぜ、チーム重視の評価ができないのでしょう。

 本来チーム戦は日本企業のほうが向いているはずですし、生活感、幼少期からの育てられ方からしても向いているはずです。


 数名のトップにお聞きすると、トップはおそらくチーム戦に移行し、個人ノルマを外すことで数値が崩れる恐怖を抱えていて個人重視から脱却出来ないとの答えが返ってきました。

 個人ノルマをはずしたら、全体として低きに流れるのでは?という恐れ。これが根っこにあるのではと考えます。

 

 ここに突き刺さる施策でなければ、グローバルを舞台にしたサバイバル戦での日本企業の勝機が見えないのではないかと考えます。




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